2016/08/07  自由=暇≒退屈




「自由」と言うと響きが良いが「暇」と言うと響きが悪い。
しかしこの2つはまったく同義だと思う。
自由だから暇なのであり、暇だから自由なのだ。
暇じゃなかったらそれはもう自由ではないのである。

次に暇と退屈。
これを同義だと捕らえている人は多いがそれは違う。
暇は客観的事実。退屈は主観的事実だ。
暇だから退屈である。確かにこの公式は成り立ちやすい。
しかし、暇でも退屈じゃない人はいるのである。
どいうことか?
暇と退屈の間には以下の組合せが考えられる。
1.暇だから退屈である。
2.暇だけど退屈じゃない
3.暇じゃないけど退屈である
4.暇じゃないから退屈じゃない

この内、1と4はわかりやすい。これらは比較的成り立ちやすい。
2もまだわかる。暇な時間を退屈と感じるかは人それぞれだ。
電車に乗った瞬間からスマホでゲームでもやらないと退屈を紛らわせられない人もいれば、何もせずともずっと座っていられる人もいる。
後者は暇を楽しめている人だ。
前者は「暇がない」「自由が欲しい」と言いながら、いざその暇を与えられるとその暇を楽しめないタイプだ。
では3はどうだろう?
暇じゃないけど退屈である。
こんなことありえるのだろうか?
例えば高速道路の居眠り運転などがそうだ。
運転しているのだから暇じゃない。しかし退屈だから寝てしまうのである。

故に暇と退屈は似て非なるものである。
よってこの記事のタイトルの「自由=暇≒退屈」の公式が成り立つのである。

問題は1が成り立ちやすいことからもわかるように暇(自由)と退屈は大変仲が良いことである。
自由は天国だが、退屈は地獄だ。
「自由」という言葉に憧れる人は多いが、自由とは暇のことであり、暇は退屈を呼び起こしやすい。
普段暇の無い人にポンと1日暇を与えても、大抵の人は有意義に使えない。相手が忙しさから退屈に変わるだけだ。
何故そうなってしまうのか? それは暇に対する経験が不足しているからだ。
暇になった時に退屈を呼び起こさない為にはある程度のスキルが必要なのである。
そしてそのスキルを身に着ける為にはもっと自分の内面と向き合う必要がある。

暇な時間にゲームをして過ごすのを悪いとは言わないが、それがただの退屈凌ぎなのか、
能動的に楽しんでいるのかで人生の幸福感は変わる。


と、前回の記事の続きを書いてみた。
いや、言ってもそこまで暇じゃないぞ(笑)


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