2013/03/03
半歩先
今回はちょっと真面目なお話。
芸術活動をしている人にとって「大衆迎合」という問題は誰しもが突き当たる問題だと思います。
まあ、私なんかは休日にふら~っと猫を撮ってる程度なので、芸術活動で生計を建てている人に比べればその葛藤なんてたかが知れているのですが、とは言え、何かのキッカケでふいに強く考えさせられたりもします。
この問題について哲学者のサルトルは「学問・芸術は本質的には反体制的なものである」と解いており、恐らく真剣に芸術に取り組んでいる人程、この意見に賛同しているのではないかと思います。
この考え方はわかりやすく学問に例えると「問題は難解であればあるほど優れている」ということになります。
ですがある一定のレベルを超えると一般人には解けなくなる領域に入ってしまいます。
そしてその解けるレベルというのがその人のそれまでの経験によって異なります。
例えば小学2年生にとって九九は面白くても(挑戦し甲斐があっても)連立2次方程式は難しくて面白くありません。
中学生にとって連立2次方程式は面白くても九九は簡単過ぎて面白くありません。逆に代数幾何は難しくて面白くありません。
高校生にとって代数幾何は面白くても連立2次方程式は簡単過ぎて面白くありません。ましてや九九なんて解く価値すらありません。
ですがやはり複素解析は難しくて面白くありません。
芸術もこれと同じです。
なので大衆迎合主義によく言われる「評価を嘆くのは人気が無い者の嫉妬だ」というのは半分は正解で半分は間違いです。
即ち多くの人にとって「簡単過ぎて面白くないもの」がそれは当てはまり、「難しすぎて面白くないもの」はそれに当てはまらないのです。
ただ問題は芸術は学問と違ってある一定の共通の教育を受けていないのでその理解度には個人差が大きいことです。
何事においても経験を積むというのはとても大事です。
仕事における経験はもとより、例えばパチンコ台の釘を見る能力、競馬における馬の状態を見る能力、あるいは資産運用における株価チャートや決算書を分析する能力。
どれも最初から身に付けている人なんているわけもなく、それが出来る人はちゃんと勉強し、経験を積み、能力を高めていったからに他なりません。
芸術も同じです。
見る目を養うとそれまでわからなかったものもわかるようになります。
ただやはりそこにも個人差があります。先にも書いた通り、一定のレベルを超えると一般人には解けない領域に入ってしまいます。
では芸術の評価をどのように行うか?
まあ、そこまで大それたことは言うつもりはありませんが、少なくとも自分の活動はどのレベルを目指すのか?
ということを考えた時にこの記事のタイトルの「半歩先」というのがストンと自分の中に落ちてきた。
3歩も4歩も先を歩いて見る人を置いてけぼりにするのではなく、多くの人にとって「ちょっと難しそうだけど頑張れば解けそうだぞ?」と思うような半歩先を歩くぐらいがちょうどいいんじゃないかと思う今日この頃なのである(笑)
2 件のコメント:
もう九九以外、全部忘れてしまった私には
全てお手上げかと思ったら…
半歩先!とっても素敵なオチが!
オチじゃなくお話(*´ω`*)
私、最近自分には難しすぎる写真(猫じゃないです)ばかり見てるのです。
当然その写真を読み解けないのです。
で、達人達の意見を聞いて「そういうことか」と。
あらためて見てみると、なるほどと。
あと写真を撮る時のイメージングの方法を教えてもらいました。
これは為になりました。
いざ実践の時はすっかり忘れてますがw
あと、下の記事。私も同じこと思ってました。
晴れた日の休日に猫写に行かないと、妙な罪悪感のような
自分の内部に不快な感じが(- -”)
今は映画を見たり、その映像に映ってる脇役のような物を見たり背景を見たり。
部屋を色々な写真や雑貨でアレンジしたりしてます。
猫ねこネコ以前の自分を取り戻しつつ、それでも猫撮ってますな人に(笑)
喋りすぎました!今度また飲みましょう。元3Fチームとかで^^
>peeさん
どもども。お久しぶりです。
なるほどー。peeさんはお勉強家さんなんですねー。素晴らしい!(笑)
私はもう完全にマイペース路線です。
写真の方も極力主観を廃して誰でも撮れるような客観的な写真になってきましたし、逆にそういうのが自分らしさになったらいいかなと(笑)
お互い無理せず写真を楽しみましょう!
飲み会はぜひぜひ(笑)
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